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スタッフに送ったメール

21.05.30

カテゴリ:新前橋ブログ


スタッフに送ったメール

当院は医療機関ですが、多数の人が働いていると必ずイザコザが起こります

経営者になってからの4年間、常にスタッフのイザコザの対処を行ってきました

今朝、スタッフ全員に送ったメールを公開しますね

タイトルは

人のミスを批判することの意味

↓ここから

最近、前橋で人のミスを責めるという事案がありました。人のミスを責めるということが当院の中ではどういうことと捉えられているのか、を明確にしたいと思います。

以前のブログでも書いたのですが、組織の中で人の批判をすることはその組織の体力を奪うことになります。ある人が批判に時間と労力を使うと、それを言われた人にも時間と労力を防御に割かなければならなくなるからです。(アメブロ「人の批判はしないほうがいい」https://ameblo.jp/kashitomo52/entry-12623337632.html)

人のミスの批判をすると批判する人間と批判された人間が仕事に使うべき労力を無駄にしているということなるので、経営者としてはそんなことに給料を払っているわけでは無いので、正直、給料の一部返納をして欲しいし、本当に請求したいくらい。金返せ。

次に人がしたミスはどこまで許容されるのかという問題です。

人間はだれしも100%仕事をこなせるわけではありません。100%ミスなく仕事が出来る人間というのは存在しないのですね。では何パーセントなら許されるのでしょうか。合格点は何パーセントなんでしょうか。99.9%?97%??? 90%???

そう、線引きは出来ないのですね。

ミスの確率順にすべてのスタッフを整列させて、どこからは合格だけど、ここからは失格だからクビ、ということにはならないし、してはいけないのです。今99%ミスしない人も、99.9%の人ばかり入ってきたらアイツ出来ないヤツというレッテルを貼られるのです。

とは言っても、ミスはミスでフィードバックしないといけないので必ずミスをした本人に伝える必要があります。むしろそれを怠っていては本人のためになりません。だから本人へのフィードバックはかならず行った方が良いです。フィードバックは行うべきだが、批判となるような伝え方をするべきではない。そしてフィードバックを受け取ったミスをした人間も、批判と捉えないことです。批判と受け取ればそれは自分の業務改善をしようとはしなくなるから。

「ミスの指摘は行うべき、ただし批判になってはいけない」ということです。

僕のなかでは、批判した人間も、批判された人間も、両者ともに減点してるので、留意してください。

では、人のしたミスへの批判が大きくならないようにするためにはどうしたらよいでしょう。

1つは、ミスが起こらないように、ミスが少なくなるように制度設計をすることです。ミスの数は人それぞれ違うのだから、ミスが多い人でも中に入れるような制度を作るのが正解。ミスが少ないという基準だけで選べば、優秀だけど人を攻撃したりする人を入れなければならなくなります。優秀で人を攻撃しまくる人、うちのスタッフに欲しいですか?いらないでしょ?繰り返しミスが起きるなら、それを防げるような制度を作ろうというのが第一点。

もう1つは、ミスすること自体を非難しないことです。もちろん自己反省がないとか、言いたい気持ちも分からなくはないのだけれども。聖書にこんな一節があります。

<ヨハネ福音書「姦通の女」ヨハネによる福音書第8章3〜11節>

 聖書の中に、姦通罪で捕らえられた女性をめぐって、主イエスと律法学者たちが対決する場面があります。旧約の律法では、姦通罪は石打ちの死刑にされることになっていました。判断を求められた主イエスは「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず石を投げなさい」と言いました。すると年長者から始まって一人また一人と立ち去ってしまい、誰も女に石を投げることができませんでした。

<人を裁く権利や資格をもつ者はいない>ってことです。

実は鹿嶋の事務処理能力は低いです。ミスなく事務処理をすることが、僕は苦手なんですね。だから研修医のころは同期8人いる中で一番使えないヤツという扱いを受けていました。でも事務処理能力は低くても、他の能力がずば抜けているので今は同期の医師よりもはるか遠くに行っているのは、うちのスタッフみんなが知っている通り。つまり事務処理能力は多数ある能力のうちの一つであるにすぎないので、そこだけを物差しにして人を値踏みするな、ということです。研修医のころに鹿嶋を使えないヤツ扱いしたドクターは、鹿嶋から何かを教えてもらうチャンスを無くしたのです。経営のこと、手術のこと、たくさんのことを僕は知っていますが、教えてあげることはありません。

もうすこし鹿嶋友敬個人の気持ちをぶっちゃけて言うと、そもそも仕事としてその役割が与えられているんだから個人的な感情を仕事に持ち込むんじゃねーよって話です。リーダーシップ論のところでも書いてあったのですが、これは「仕事」なんだから、役者が役を演じるように、スタッフは「鹿嶋にとって良いスタッフ」を演じる義務があるんだよってことです。

演じられない役者は不要であるのと同じく、「鹿嶋にとって良いスタッフ」を演じられないスタッフは不要です。クビでいい。

今うちにいるスタッフは、みーんな何かしらの経験や経歴を持っている人ばかり。鹿嶋が何かを感じて直接採用した人しかいません。つまりそれぞれに何らかの常人とは違った才能・キャリアがあるのです。凡人は居ないはずです。だからそれぞれがそれぞれを尊敬するようにしてください。

そして繰り返しますが、休日にこんな長文を長時間使って鹿嶋友敬に書かせた当事者は、鹿嶋の中では減点しています。どれだけ時間かかると思ってんだ。二千文字以上もあるんだぞ💢ブログ1本分だ💢あ、ブログに転用しよう💡

他のスタッフも批判したくなったら、批判した人間は、鹿嶋からは減点されるということを肝に銘じてください。